教育原理は、現実の教育活動の目的・内容・方法などの基本的な原則や諸問題について理解を深める研究で、哲学的な面を含むことがあるが、むしろ教育の社会基底や心理学的原則の方を現在では無視し、実践の原則的指針の方に力点をおいているといえる。
「教育の本質」
社会は自らを維持し、発展させるために、今までの経験の蓄積、すなわち文化遺産をその成員に伝達し、その社会に適応するように働きかけ、個人は文化的諸条件のもとに自己を形成し、自己の基本的欲求をその人間関係の中で実現するように成長する。このような全体的な人間形成の社会的な過程である。
「教育の意義」
教育とは、個人あるいは特定の機関が、一定の理想あるいは価値を志向して、未成熟な子供たち、または青年を指導して、社会の維持と発展のためにする意識的な活動および無意識的な活動である。この活動は一般的に、全体的な人格の形成をめざす陶冶と、必要とされる知識・技術の教授とに大別できる。
「教育の理想と目的」
教育の理想ないし目的は、人間をより真実な人間に育て上げることであるが、その教育が施行される時と所においての社会の理想と目的は相対的であり、必ずしも絶対的なものでないことは史実からも明らかである。
「変遷」
- 古代ギリシャ・ローマ
古代ギリシャ、とくにアテネにおいては均斉のとれた人物を、スパルタにおいては国家に奉仕する有能な軍人、ローマにおいては実践的人間の形成に重点をおき、よき国民を養成することを教育の目的とした。
- 中世
キリスト教の勢力がきわめて強く、神への奉仕と服従が教育の目的としてあげられた。
- 近世
ルネッサンス運動にともなって起こったヒューマニズムに基づく教育思想は、中世の来世的傾向から脱却し、知的・美的・道徳的陶冶を重視、人間的な教養を目的とした。このヒューマニズムの反動として現れた実学主義は、実際生活上の豊富な知識とたくみな技能を有した実際的人物の養成を目的とした。 19世紀に入って多くの教育学者を出したが、ペスタロッチは、教育の目的は個人的な目的よりも、社会の改造と民衆の身体的・知的・道徳的改善にありとし、ヘルバルトは道徳性の涵養を教育の唯一最高のものとした。「主な教育観」
- コメニウス
人間を教える技術は、事物の一番奥底にあるゆるぎない自然に基づいていなければならない。
- ロック
教育こそ、実に、一切の人間の間に差異をもたらす。
- ルソー
人間は自然すなわち本性において、善性が支配しているので、この善性の法則に従って教育されるべきであろう。
- ペスタロッチ
人間、それは玉座の上にいても、木の葉の屋根の下にいても同じなのだが、その人間の本質は一体なんであろう。
- カント
人間は教育によってのみ人間となることができる。人間とは、教育が人間から作り出したものにほかならない。
- フレーベル
人間教育の基礎は、生命の合一を自然にもつ幼児期であり、その合自然的発達の場は家庭であり、教師は父母である。
- ヘルバルト
管理・教授・訓練の3つは決して一つのものではない。
- デューイ
社会が自らのためになしとげたいっさいのものは、学校の働きを通して、あげてその未来の成員の手にゆだねられる。
「わが国の教育目的」
教育基本法の前文において、「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家をさらに発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊重を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造をめざす教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、わが国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」と教育の理念を、同法第一条においては、「教育は、人格の完成をめざし、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と教育の目的を明記している。
「生きる力」
- 中央教育審議会答申で提言された、これからの変化の激しい社会を生きていくために求められる資質や能力をいう。
- 自分で課題をみつけ、主体的に判断・行動し、よりよく課題を解決する能力を身につけること。
- 他人と協調し、他人を思いやる心・感動する心などをもった豊かな人間性の育成。
- たくましく生きるための健康や体力の育成。