日本の教育者と教育観

貝原益軒
  • 和俗童子訓

石田梅岩(1685~1744)
  • 「都鄙問答」
    • 商人は勘定委しくして、今日の渡世を致すものなれば、一銭軽しというべきに非ず。是を重て富をなすは商人の道なり。富の主は天下の人々なり。

二宮尊徳(1787~1856)
  • 「二宮翁夜話」
    • 万物の書物ありといへども、無学のものに栓なし、隣家に金貸しありといへども、我に借りる力なきを如何せん、向かいに米屋ありといえども、銭なければ買うことはならぬなり、されば書物を読んと思はば、いろはより習い始むべし。

福沢諭吉(1834~1901)
  • 「学問のすすめ」
    • 神様が人間を造るに当たっては、どの人間にもみな平等の権利を授けられた。だから、生まれながらに貴賤上下の差別などというものはない。

内村鑑三(1861~1930)
  • 「余は如何にして基督信徒なりし乎」
    • われわれは徳育と知育とを区別しない、学校はわれらの教会である。われわれはその中でわれわれの全人間を育て上げる。

新渡戸稲造(1862~1933)
  • 「随想録」
    • 教育の目的とは、第一職業、第二道楽、第三装飾、第四心理研究、第五人格修養の五目に岐れるのであるが、之を煎じて詰めて云わば、教育とは人間の製造である。

羽仁もと子(1873~1957)
  •  「羽仁もと子著作集」
    • 自由学園には先生はありません。大人も子供も皆お互いの長所を学びましょう。ただ一人ここに変わることのない先生があります。それはキリストです。

篠原助一(1876~1957)
  • 「批判教育学の問題」
    • 教育とは人をその現に「ある」状態より「あらねばならぬ」状態に引き上げる働きである。人をたすけて、人として「あらねばならぬ」すなわち人の理性的本分を充実せしむる働きである。

及川平治(1875~1939)
  • 八大教育主張者の一人
  • 「分団式動的教育法」
    • 静的教育を改めて動的教育とすべきことの主張、教育の当体に存する事実を重んずべきことの主張。真理そのものをあたうるよりも真理の探究法を授くべきことの主張。

沢柳政太郎
  • 「実際的教育学」
    • 教育学と教育との実践の関係は互いに因となり果となり、密接の関係をなして行うべきものであろうと思う。